舟弁慶

参照:桂枝雀

喜六が清八に船遊びに誘われる。喜六はいつも旦那衆のおごりで遊んでるもんだから「弁慶はん」というあだ名が着いていて、割り勘で行って弁慶はんと言われるのは割が合わないとゴネるが、清八が、もし弁慶と呼ばれたら自分がお金を出してやろうと言うので、行くことを決心する。

着替えて出かけようとすると喜六の女房のお松が帰ってきて、どこに行くつもりなのかと迫られてオタオタしていると、清八の機転で友人の喧嘩仲裁の事で出かけるのだいう話をでっち上げて、お松の追求を切り抜ける。

二人は屋形船に乗り込んで酒も飲み踊り始める。そこにお松が友人と一緒に夕涼みやってきて、喜六を見つけると、かんかんに怒って通い舟で乗りつける。喜六は酒も手伝ってお松を川に突き飛ばしてしまう。川は浅く、お松は流れてきた竹をつかむと、「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤、平の知盛幽霊なり」と能の「船弁慶」をはじめる。船の上の喜六もそれに応えて、「その時喜六は少しも騒がず、数珠さらさらと押しもんで」と応じる。

橋の上から見ていた通行人はこれを喜んで、「川の中の知盛はんもえぇけど、船ん中の弁慶ぇはーん」。
喜六は「清やん、今日の割り前とらんといてね」。


噺の流れに無駄が無く、良く出来た噺だと思う。弁慶と呼ばれたらタダになるというのを、そのままおごりで遊ぶ意味で言われるのでは無く、能楽を使って見物客から弁慶と言わせるというのは、ひねりが聞いていていい。
喜六が割り勘で行くのを渋る場面、お松が知人の家での出来事をつらつらを喋る場面、喜六がお松に怒られたり謝られたりしたことを清八に語る場面なんかも、ユーモラスでいい。


屋形船なんていうものはテレビでは見たことはあるが、乗ったことは一度も無いのでどんなものか知らないが、この落語の噺を聴く限りは、夏の夕涼み、というだけではなくて、芸者を招いて飲んだり踊ったり、というもののようだ。喜六の日当が三十銭なのに、一人三円出して遊ぶというのだから、随分と張り込んだ遊びということになる。ちょっと真似はできそうにないが、この時代の金銭感覚はこんなものなんだろう。


能の「船弁慶」は、義経が頼朝に疎まれた為に西国に下ろうとする時を描いたもの。京都から摂津にくだり、静とはそこで別れて、弁慶らを連れて船に乗っていく。すると船が流されるのがおかしいと言っていると、平家の霊が現れる。平知盛義経は刀で戦おうとすると、霊に刀は通用すまいと弁慶は経を唱え、せめぎあいの末に知盛らの霊は退散する。