日本語が亡びるとき
若い頃に長く米国で過ごしてきた著者が、英語が"普遍語"として全世界のいわば共通語として受け入れられている状況を観察すると共に、日本語への危機感を語ったもの。
インターネットがビジネスにも日常生活にも無くてはならないインフラとなっている今日、それは巨大な図書館のような役割を果たしていて、そこで英語で書かれたものと各"国語"で書かれたものとのでは読まれ方は全く違う。こうなると"叡智を求める人"ほど"普遍語"である英語で書かれたものを読む事になり、それは、書く人にとっても英語で書きたくなるだろうという。そしてその循環が進んでいくと「日本語が亡びる」事になっているだろうと心配しているのだ。
英語について自分なりの感覚としては
- 読む能力は、なんらかの勉強をする人は全員が身に着けたほうが良い。インターネットにはどんな分野でも内容の濃い情報があり、それらは元ネタが英語で書かれているからだ。
- 聞く能力、話す能力は国際舞台、あるいは海外の人たちを渡り合う、時には戦い、時には強調しあうといった立場に着く場合には必須。
- 書く能力は、論文とか学問をやる人など一部の人に求められる。(話し言葉でブログを書くことはあるだろうが、これは話す能力に近い)
という感じだろうか。本書を読んでいても特に間違ってないかな、となんとなく確認できた気がした。
それにしても、日本語の将来についてこんな風に想いを持って述べる事ができる人は何人いるのだろう。このような識者が国語教育になんらかの形で関与して貰う事ができないものだろうか。