黄金餅

参考:古今亭志ん朝 落語名人会

西念という貧しい僧がいて病気でしばらく寝込んでいた。或る日近くに住んでいる金兵衛が心配で見舞いに行くと、あんころ餅を食べたいの言うので買ってやると一人で食べるという。一人になった西念、あんこを取り出した餅にお金をつめてそれを飲み込む。金を持ってあの世に行こうということか。そして西念は息絶えてしまう。
金兵衛はそのお金を独り占めしようと、葬儀から火葬まで自分が仕切ってやると言い出す。葬儀をあげてくれた寺の和尚は酔っ払っているし、金兵衛は葬儀代を値切るし、寺まで運ぶのを手伝ってくれた人達には何の礼も無し。
火葬が終わって金を取り出し、その金で餅屋を開き、繁盛したということだ。


餅というと今の感覚で言うとお正月の時期という事になり、鏡餅だったり、お雑煮やお汁粉に入っていたり、焼いて磯辺にしたりなどが普通だが、子供の頃はもっとしょっちゅう餅を見たものだ。というか、むしろ当時はお正月と餅とはあまり関連付けてはいなかった。
祖父母が船乗りだったもので大抵は家にいないでどこかの海にいた訳なのだが、帰ってくるとその都度餅をついていたという事が大きいだろうか。それと、どこかで家を建てていると棟上のときに屋根の上から餅をばら撒いて祝うなどという事もよくあった。こんなのは今では全く見ることが無いが、つまりは祝いの場に結びついていた訳だ。
当時は臼と杵で付いていたが、ある時からは電気自動餅つき機なんていうのが我が家に登場した。これで、餅つきが格段に楽になった。現在はどうかというと、大半はパック入りの餅だし、また臼と杵は見世物というかそれ自身が食べる事に加えて見たり参加したりという楽しみに変わっている。ともあれ形が残っているのは大切なことだと思う。

それにしても、この落語の登場人物達は死んだ人をぞんざいな扱いをするもんだ。このシュールさは落語ならでは許されることで、漫才とかでは決して演じることはできないはずだ。