五月幟

参考:柳家小袁治


節句の息子を持つ夫婦。叔父が人形を買ってやれといってお金をくれる。女房は夫に金を渡すと酒を飲んでしまうだろうと信用しなかったのだが、夫は自分の役目だといって金を持って出かける。
人形を買いに行く道すがら、当人の弟分が喧嘩仲裁をした二人がいるので、兄貴から小言を言って聞かせて欲しいと頼むので応じる。勢い酒も飲むことになるが酔ってしまうと、持っていた金を酒代にしろといって弟分にやってしまう。
帰り道になってどうして金を持っているかに気付くがもう遅い。家に帰ると酒に使ってしまったことを知って叔父がしかり始めるが、当人は、「叔父がお登り(幟)、自分の名は熊、赤い顔が金太郎、寝巻きじゃなくちまきに着替え、自分は布団の柏餅」と洒落ではぐらかす。「馬鹿!」と怒られるが、それも上手く生かして「今のは大きな鯉(声)だ」と。


どれくらい昔の話なのだか知らないが、今時分、初節句五月人形を買うとして、男親だけがフラリとその日に買いに出かけるということがあるだろうか。何日も前から準備しようとして、少なくとも夫婦が揃って、あるいは更に祖父祖母がついて行って、あれがいいかこれがいいかと相談しながら買ったりするものだろう。この落語のやり取りを聴く限り、男親と女親の役割がこんな買い物でも決まっていたのだろうかと興味深い。

ここで男親が買いにいったのは五月人形なのだが、落語の題名は五月幟となっている。五月幟とは鯉幟の事なのだろう。子供の頃は鯉幟は沢山見かけた。よく晴れた日に風に吹かれているのを見るとなんとも清々しい。それも大きなやつで、庭の前に竹を立ててそのてっぺんから泳がしていたものだ。今はそんな大きなものを見かけると珍しいものを見るような気になってしまう。
鯉幟は鯉の滝登りが立身出世を象徴しているので男の子の成長をを祈念してのものなのだが、そんな親の考えもどこか古くなってしまったのが、鯉幟が減ってきている理由にもなっているのかも知れない。