金明竹

参照:金明竹 柳家小三治
   落語百選 夏/ちくま文庫/麻生芳伸

骨董屋が話の舞台。旦那が奥に居る間は与太郎が店番をしているのだが、上手とは言えない。雨が降ってきたので軒を借りたいという男にただで傘をやってしまう。旦那はそういうときは「ばらばらになった」と断ればいいと教えてあげると、猫を借りたいと言って来た近所の人に「猫はばらばらになった」などと言ってしまう。また、旦那はそんなときは「腹を下して寝ている」と言えば良いと教えてあげると、旦那に目利きをお願いしやってきた人に「旦那は腹を下して寝ている」と言って、勝手に断ってしまう。

さて旦那が留守にしてるときに、骨董屋から商品を預かっている店の人がやってきて、その商品の鑑定を説明を言付けてくれと説明するのだが、この口上が難しくて与太郎にはさっぱり判らない。旦那が帰ってきて、口上の断片を勝手に脚色しながらしどろもどろに説明をしようとしても、旦那にはなんのことだか伝わるはずが無い。
「古池に飛び込んだらしい」と与太郎、旦那が「預けたものは買った(売れた)だろうか」と旦那。「いえ、買わず(蛙)です。」


後半に骨董の鑑定を説明する口上では、聞き慣れない単語が並ぶので聞いているだけでは何を伝えようとしているのかすら判らない。今では落語の噺を本にしたものやインターネットで解説しているサイトもあるので助かる。そうしたものが無い時代では、どうやってこんな噺を聞き取ってたのか不思議だ。


骨董屋が預けた商品の一つが松尾芭蕉直筆の掛け軸で、あの有名な「古池や 蛙飛び込む 水の音」が書かれている。
子供の頃はあちこちに池があって、夏休みとかには、ザリガニを取ったり、鮒を釣ったり、ヤゴをすくったりして遊んだものだ。カエルも沢山いて、池に近づくと地面に上がっていたカエルが飛び込んで逃げる音がよく聞こえた。
この「古池や・・・」の誕生については諸説あるらしい。一つには、初めに「蛙飛び込む・・・」があり、それに「古池や」を加えた、という解釈がある。つまり、松尾芭蕉の体験は、カエル(らしいもの)の水音が聞こえたという事だけであって、古池の事は俳句としての完成度を高めるために添えられたということになる。その際弟子の一人は「山吹や」を勧めたのだが、それは好ましく無いと芭蕉は考えたようだ。


蛙は一匹だったのか?という議論もあるらしい。確かに自分の経験では、数匹が一斉に飛びこむことが多かったように記憶する。けどそれでは「古池や」が醸し出す静寂と似合わない。