唐茄子屋政談

参照:古今亭志ん朝


ある若旦那、女遊びの度が過ぎて、家を追い出されてしまう。行くあてもなく、食べる事もままならず、ついに橋から身投げしようとした時に叔父に助けられる。叔父は、改心する気があるならと、燃えるように暑い最中、唐茄子(かぼちゃ)を売り歩いて来るように言いつける。若旦那は重い唐茄子を担いで出かけるが上手くいかない。すると通りかかった男が売りさばくのを手助けしてくれて大半が売れてしまい、若旦那は人情にも触れる。

残りはどうすれば売れるものか、男が手助けしてくれた時の事を思い起こして、なんとか声を出して売り歩きはじめる。
ある長屋を通り掛かった時に女に呼び止められて最後の唐茄子を売ることになる。その女は浪人の女房で貧しい暮らしをしていて、息子もひもじい思いをしていることを知って、若旦那は自分の弁当を息子に上げて、更に売上のお金を女に渡して去ってしまう。

その話を聞いた叔父は素直に信じることができず、女の所に確かめに行くと、女は自殺を図ったが一命を取り留めたところだった。女は若旦那から受け取った折角のお金を大家に取り上げられたということだ。

怒った若旦那と女の知人は大家を殴りつける。話は奉行の耳に入り、大家は厳しいお咎めを受け、若旦那はお褒めを受けて勘当も解かれる。


遊ぶことにしか興味が無くて生活の基本の衣食住を手に入れることの大変さを知らない若旦那が、家から放り出されて始めてそれを身にしみて感じ、人情にも触れ、貧しい人を助けてやりたい思いを抱くというまでの改心を描いた人情もの。


かぼちゃは冬至の日に食べる習慣があるので、冬のもののような印象を受けてたが、やっぱり旬は夏から秋に掛けてのようだ。保存できる期間が長いからだろうと思うとそれだけではなさそうで、東北や北海道とか北の地方では収穫が遅くなるし、ニュージーランドなど南半球からの輸入もあるようだ。
子供の頃はかぼちゃは嫌いな野菜の御三家に入っていて、特に皮に近いところは食べずに残していた。今では好物とまでは行かないが、嫌いな方ではない。味覚が変わるのは何故なのだろうか。