いが栗

参照:桂歌丸


ある商人が道に迷っているとき、辻堂にいが栗頭のお坊さんがいるので道を尋ねるとなにやらぶつぶつと唱えてばかり。商人は気持ちが悪くてその場を立ち去り、一軒の民家を見つける事ができる。その民家に止めてもらえないかと相談すると、その家の老婆が言うには、娘が坊さんが怖いと言い始めてそのまま臥せっていて、この家に泊まらなければ良かったという事にならないかが心配だと。商人はそれでも泊めてもらいたいと言って一泊するのだが、その夜、娘が苦しみ始めるとその枕元に坊さんの姿が見える。その坊さんは良く見ると昨日の辻堂で見た坊さんだ。
商人は翌朝坊さんのところに行って、お前が祟っていた娘は死んでしまったと言うと、坊さんは白骨になってしまう。商人は老婆と娘がもとの村に戻るのに同行すると、村人達から、村が祟られていたのを助けてもらったと感謝され、また娘を嫁に貰って欲しいと言われる。
婚礼の夜、家の天井が音を立てると、ねずみ避けに使っていたいが栗が花嫁のおでこに落ちてくる。商人は「まだいが栗がたたっていやがら」。


爆笑するという訳では無いし、人情ものという訳でも無く、ただ昔話のようなじっくりとした展開で、こういった落語は少ないのではないだろうか。桂歌丸のような年季が入った真打が演じているということもあってか味わい深い。


今年初めての栗御飯を味わった。栗ともち米とがいい塩梅で味がいいのは勿論なのだが、この季節に食べるからこそ旨いと感じる。そういえば子供の頃は芋御飯なんてのも時々食卓に出ていたが、最近はお目にかからない。栗と芋、生っている場所は木の上か土の中かで正反対なのだが、味は結構似てたりするのが面白い。