阿木燿子「自分らしく生きるために」

阿木さんという方はとても上品というか柔らかい話し方をする。阿木燿子といったら、港のヨーコやプレイバック・パート2の歌詞のイメージがあるので意外だった。

作詞家という職業を通して、彼女は自分の中に別の世代、別の性別の自分がいることに気がついたという。少女向けに詩を作るときは少女の自分、男性と意見が対立して議論するときには男の自分、悩み相談に答えたりするときにはシニアな自分、という具合に。そして自分を6面体の夢殿になぞらえて、どの窓を開けてどんな風を入れるかという事をコントロールするようになったという。
豊かなメンタルモデルは、経験があってこそ身につくものだと納得させられる。

阿木さんは認知症になった義父を引き取って介護したのだが、その義父との付き合い方がまたユニーク。たとえば、義父が幼い頃自分の母に夜這いに来ていた牛乳屋さんを思い出して、それを許せないという事を言い始めるのだが、それを阿木さんは「彼は謝ってましたよ」と言うと義父は「そうか」と言ってもう口にしなくなったという。
人は三つ子の時のわだかまりのようなものは心の奥に残っているものだと知る。阿木さんが語ってくれたのは、育"自"のすすめ。自分自身を0歳の赤ん坊に見立てて自分で育ててあげるというスタイルだ。

心に残った事のもうひとつは、港のヨーコの誕生話。突然歌手になることを決めた宇崎氏が作曲は自分がやるから作詞をしてくれと頼んだそうで、ところが阿木さんが作詞をしたのは大学生の頃のことでもう何年もやっていない。歌詞というのは一番と二番で同じ楽譜に乗せなければならない訳だが、作った歌詞は一番と二番で同じ曲には乗らないものだった。そこで宇崎氏はあの語りが中心の曲にしたのだ。
慣れない状況を受け入れる事のできた宇崎氏の才能もすばらしい。