雑草のはなし

我が家の小さい庭にはいつも雑草が生えてくる。花が咲いて種を作ると更に増えるだろうし、見た目も良くないから、そうなる前に抜き捨てるということを繰り返している。どうして無いならないのだろうか、どこかからか風に乗って種が飛んでくるのか、それにしてもこんなに生えてくるものだろうか、結構疑問だ。抜いても抜いても、同じところからしつこく生えてくるものもある。また逆に、雑草と言いつつ、中には味のある花を着けるものも少なく無くて、道路沿いや山路には結構そんな雑草があるものだ。

そんな事をうすぼんやりと考えていると、これほど親しみ深いはずの雑草について、殆ど知識が無いことに気がついた。自分の庭に生えてくるこれらは何なのだろう、という疑問がわいてきた。

そこで手にしたのがこの本。雑草のはなし/田中修/中公新書

期待通りの本だった。幾つかの雑草について書いてあり、どこにどんな風に生えているなどという話よりも、その生態の疑問を解説してくれている。

例えば、現在日本タンポポはほとんで見かけることが無く、その理由に、帰化した生育旺盛な西洋タンポポが在来種の日本タンポポを駆逐した為、という俗説を軽く否定する。日本タンポポが無くなったのは、それが植わっていた場所を開拓して宅地などにしてしまったからであり、日本タンポポはそれほど生育力が強くないので、結果的にあまり見かけなくなったという訳だ。駆逐した張本人は人間という事。ではどうして西洋タンポポはあちらこちらにあるかというと、これは繁殖能力が高い為だ。

もう一つ面白いと思った話。朝顔のつるは左巻きなのか、右巻きなのか?というコラム。つるが巻く向きは決まっているのだが、それを左巻きといえばいいのか、右巻きといえばいいのか、それが難しい。人がつるを上から眺めると右巻きに見える。ところが筆者は、朝顔の立場で見る、というモデルを述べている。朝顔のつるの先端から見るならそれは左巻きになる訳だ。この発想の展開にはハッとさせられた。